本日は父の日。書斎のブラインドというブラインドをすべて下ろし、扉にはしっかりと内鍵をかけて、締め切られた暗がりの中、花沢幸次郎がひとり向き合うのは日時指定で届いたばかりの小包である。
 跡取りの勇作はまめな息子で、実家を離れてもこの日には欠かさずプレゼントを送ってくる。父親として嬉しくないはずはない。ただ、今年はその差出人が「勇作・百之助」と連名になっているのだった。百之助というのは彼のもうひとりの息子、、、、、、、、、妻のヒロではない女性との間に生まれた、俗に言うところの隠し子である。罪悪感から長らく向き合えずに来たのを、勇作からの熱心な働きかけもあって数年前にようやく対面したのだが、これまでの不遇からか百之助の方が父を徹底して避けており、家族とは名ばかりの状況のまま、以来ほとんど関わりなく過ごしてしまっていた。そこからの不意の沙汰である。幸次郎としては後ろめたいことこの上ない。
 とはいえ、ずっとこのままにもしておけない。たとえ今更だと言われても、父親として息子に責を負う時が愈々やってきたのだ――肚を括った幸次郎が恐る恐るも小包を開けると、そこには透明ケースに入れられた片手サイズの梔子クチナシの花束と、淡いクリーム色に星を散らしたような箔押しの洋封筒とがあり、後者の方は箱の底にテープで丁寧に留められていた。贈り物がどうやら物騒なものではないらしいことに幸次郎は大いに安堵し、人知れず胸を撫で下ろした。そして、あるいは和解のしるしかもしれない、と楽観的に考えさえした。不器用な父親というのは、いつだって”渡りに船”を求めているものである。
 それにしてもプリザーブドフラワーとは。ガラスの中をしげしげと覗き込み、幸次郎は目を細めた。勇作は実用品を好む性質であるから、今回はおそらく百之助と一緒に選んだものだろう。気高く咲き誇る八重咲きの梔子、その透き通るような白を周りの濃緑が引き立てる様は、まさに朽ち無し、、、、の美と言う他にない。この素晴らしい贈り物に、勇作が媒となって作ってくれた機会に感極まった幸次郎は、長年の不義理を百之助に詫びようという決意を固めた。しかしその前に、封筒の中のメッセージを検める必要がある。当初の不安を忘れた彼はすかさずテープを剥がし、封蝋にペーパーナイフを差し入れて、勇ましくも慎重に中にあるものを取り出した。
 しかし出てきたのはメッセージカードではなく、一枚のポラロイド写真だった。それを見るなり幸次郎は驚き、そして慄き、やがて神妙な面持ちでよろよろと窓辺へ歩いていって、ブラインドの隙間から外を眺めた。私はお呼びでない、という悲しみの深さに比して、梅雨晴れの蒼穹は高く澄んで美しかった。今年銀婚式の幸次郎はその時まですっかり忘れていたのだが、そう、六月Juneの催しは父の日だけではないのである。
 息子たちの父親は震える手で、事務机の上に写真を放った。一体どこの聖堂だろうか、そこには勇作と百之助が白黒のタキシード姿で御前みまえに永遠の誓いを立てる場面が収められていて、さらに流麗な筆記体で次のように添えてあった。
「拝啓父上様 あなたの蒔いた種です」

(了)

送信中です

×