きらびやかな一角獣に跨った勇作が、俺の視界から消えてはまた現れる。はにかみながら手なんか振っている。いい歳して回転木馬なんか、と俺は思っていたが、何せあの美形だ、現実離れした生き物同士、なかなか様になるどころか似合いですらあるから困る。スピーカーから流れてくる三拍子はエリック・サティの”Je te veux”で、ちょっと古風なチョイスだ。『あなたが欲しい』――日本語では一般にそう訳される。
俺は寒空の下に突っ立っている。勇作は音と光と馬と一緒になって盤の上を回っている。俺の世界に現れては消えて、はにかみながら手なんか振っている。ただでさえ閑散期の遊園地、乗客も見物客も他にいないから貸し切りだ。これに乗りたいと言った異母弟ひとりのために盤は回る。そうだ、世界はいつだって祝福されて生まれた子どものためにある。
だから乗りたいなんて言われたら、俺でさえ乗せてやらないわけにはいかなかった。虚空を見つめる黒い目の一角獣はよもや知るまい。手前を何度も持ち上げたり下ろしたり騎乗の名手ぶりを発揮して、この世で俺ひとりにしか見せない表情をしている、真夜中の勇作のことなんか。
あなたの心が、俺の心に。
あなたの唇が、俺の唇に。
あなたの身体が、俺の身体に。
そして俺のすべてが、あなたのものになればいい。
言っておくが、これは例の曲の歌詞の一部であるにすぎない。その他のことは一切、何も意味しない。だが俺は振り回されている。静止していながら、足は地に着いていながら、実際にはどうしようもなく振り回されている。何に? それはもちろん、ああして今も俺に微笑みかける勇作に。
俺はスロー・ワルツが好きではない。ぐるぐる回って戻ってきて、戻ってきては回り始めて、三拍子を終わりなしに引き伸ばす。その迷宮じみた円環の中で俺は必ず余計なことを思い出す。思い出し続けている。たとえば、汗に濡れて吸いつく貪婪の膚。恥じらいと大胆さの共生する唇。ひとりではいやだと俺を捕らえて離さない指。そして皺の寄ったシーツの上で合金を造るみたいに熔け合って、やがて俺のすべてが勇作のものになる――その一瞬の永遠、もしくは永遠の一瞬、祝福という名のまぼろしを。
勇作と馬たちはまだそこで回っている。たった二分やそこらでも、俺は何も考えずにいるということができなくなっていた。勇作と出会ってからずっとこうだ。いつでも何か考えている。考えたことを打ち消すための別の何かも並行して考えている。俺の中にもうひとり、いや何人も別の俺がいる。あるいは俺自身もまた回転木馬なのかもしれない。あの異母弟を軸に俺の思惟は円を描き、繰り出した言い訳のすべては後から来た俺自身に否定され続ける。延々と。
俺を通り過ぎる勇作とまた目が合った。もう何度目かわからない。キリがなければ、確かなことも何もない。何もないが、そう、スピーカーから流れているのはJe te veux、それだけは確かだ。それはまったく、確かなことだ。神の存在よりも間違いない。今度ばかりは世界も俺が正しいと言うだろう。なんだ全然否定してないじゃないか、おかしいな。Je te veux、Je te veux。俺は一体どうしたいんだ。俺は、――そうだ。今夜はっきり言うべきだ。あなたが欲しい。
(了)