男は棚にある小銃を手に取った。畑を荒らしにくる獣を撃たねばならぬのだが、そのために気の合わない川向こうの隣人から猟銃を借りるのが嫌で仕方なかったので、是非とも自前で一丁所持しておきたいと思ったのである。これならば自分の用途に足るだろうか。一見よさそうに感じたが、いざ持ってみるとどうにもしっくり来なかった。本当に大丈夫かと目で問うと、店番の青年はいたって愛想よく微笑んで言う。
「軍用の払い下げですが、威力は保証いたしますよ。弾薬もお付けします」
「そりゃ、助かるね」
 大柄な青年に並ばれると、自然と見上げるような形になる。青年の物腰は実に都会的で優雅だったが、そうしていると男はなんだかそわそわして落ち着かなかった。なるほどお国訛りのなさからしても青年はこの土地の者ではないだろうし、鉄砲屋の店番が陸軍将校の格好をしているなんてのは確かに奇妙な趣向だとは思うが、果たしてそれだけで片付けられるものだろうか。不思議に思いながら、男は青年をじっと見つめた。つくづく綺麗な顔だと思った。
「お買い上げになられますか?」
「これに決めようかとは思うが。しかし、あんたみたいなお上品な人から銃を買うなんて、なんだか変な気分だよ」緊張感を紛らわそうと、男は軽口を叩いた。「なあ、あんた本当に詳しいのかい。なに、疑おうって訳じゃないんだが……俺の中ではあんたとこいつ、、、がどうも結びつかなくてね。けだものなんか、撃ったこともないだろう」
 店番の青年は困ったような笑みを浮かべて、
「お言葉ですが、」それからあくまで穏当に反論した。「その武器にもっとも精通している人間というのは、それによって命を落とした者ではないでしょうか」
「えっ」
 驚いた男が聞き返そうとした時だった。
「いけませんなあ、勇作殿」
 声のした方を見やると、奥の火鉢で暖をとっていた店主らしき人影が、やれやれといったていで重い腰を上げるところであった。黒壇のような髪は丁寧に撫でつけられ、着流した流水紅葉の羽織の裾が、座敷の上に長く伸びている。
「あなたが余計なおしゃべりをするから、客人が困惑しているではないですか。そも、その理屈なら俺が接客したっていいはずだ」
 男は戦慄した。振り返った顔は不気味なほども色白で、その上左目がなかったからである。眼球のあるべき場所からは紅葉の葉よりも赤いものがとめどなく流れ出しており、この世ならざる光景に、男の膚はたちまち粟立った。そしてそれまでの違和感の全部に合点がいった。これが悪夢ではなく現実なら、今すぐにでもこの場を離れるべきだろう。しかし二本の脚は床に糊付けされてしまったかのように動かない。
「いけないのは兄様の方です。そうしてすぐにお客様を驚かしてしまうのですから」
 見れば青年の方もいつの間にか左目を欠いていた。表情は穏やかなままなのに、深淵めいて暗い眼窩からはやはり鮮やかな赤がたなびいている。兄弟らしき二人は顔立ちといい背格好といい似ても似つかなかったが、そこだけが揃いだった。揃って死者なのだった。自分は今、何を見ているのだろうか。視界が一色に塗り込められるにつれ、男は全身から血の気が引いていくのを感じた。
「……誠に申し訳ありません、お客様。兄に悪気はないのですが、少々お茶目が過ぎるのです。今日ここで見たことはどうかお忘れになってください」
「まったく、三途の川の渡し賃を稼ぐのも楽じゃありませんな。これじゃ往生なんか夢のまた夢、行く末はふたり仲良く地縛霊だ。困りますなあ、そこまで同じにしようなんて、さすがの俺も思っちゃいませんよ」
「兄様は商売っ気がなさすぎます」
「人のことを言えた口ですか。商売においては嘘も方便、といつも申し上げておりましょう。馬鹿正直もいい加減にしてください。まあ、それがあなたの美徳なのは疑いようのないことですが。俺を愛してくれた、あなたの」
「兄様」
「勇作殿」
 死者たちがどろどろと赤いものをひとすじの河にして睦み合い、やがて溶け合って建物ごと霞の中にかき消えた後も、男は荒野にひとり案山子のように突っ立ったまま、悲鳴ひとつ上げなかった。集落でも評判の剛の者だったから、などと言ってみることも可能だが、それは真実たりえない。実際のところ、男はどんなに悲鳴を上げたくてもそうできなかった。立ったまま気を失っていたからである。

(了)

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