自分よりもだいぶ上背のある幼なじみと、横並びで街を歩く。
 用務の最中にも遺憾なく発揮されるこの男の女癖の悪さにはまったくもって頭が下がる思いだが、近頃は随分活き活きと女を口説くようになったと、傍目にも思う。歯が浮くほどに甘い科白ばかりを吐くのは相変わらずなのに、そこから言葉を玩ぶような浮ついた響きがなくなるだけで、――たったそれだけのことで、こうも印象が違って聞こえるものかと、正直なところ驚かされる。実際、悪くはない面付きも手伝って女受けは上々であるらしく、その手練に道ゆく女たちが頬を紅潮させる様を今日だけで既に四、五回は見せられていた。
 いつだったか、どういう心境の変化だ、と直に尋ねたこともあった。隠し事の多いこの男のこと、真っ当な答えが返ってくるとは露ほどにも思っていなかったが、案の定、綺麗な花に綺麗と言っているだけ、などと適当にはぐらかされるだけに終わった。戦場で背中を預け合う日々を過ごしてなおも俺は奴にとって対等な存在ではなく、未だ庇護の対象であるらしかった。俺はそれが気に入らない。
 諸々逡巡しながら四半刻ほどの道のりを往き、町外れに駐留していた輸送隊にフェルディアへの最後の荷物を引き渡す。これが今日の用務のすべてだった。本来ならば俺ひとりで事足りるものを、ふたり組になったのはあの元教師が要らぬ世話を焼いた結果だった。息抜きも兼ねて共に寄り道のひとつやふたつもしてこい、ということなのだろう。――少なくとも、表向きには。
 書類上のやりとりを済ませての帰り際、隊に同行するらしい行商人の連れ、齢十二、三の少女から一輪の花を差し出された。それは故郷の足の早い夏をささやかに彩る、見慣れた白い花だった。
「これあげる」
 こちらがファーガスの人間だと知っているような顔だった。王都奪還を成し遂げたことへの労いのつもりだろうか。花に添えられた意図を吟味している間に、その少女は隊の元へと駆けていった。はにかみ顔で、何度かこちらを振り返りながら。隣にいる男は、それを手など振りながら呑気に見送っている。
「いやあ、駄目もとで俺にくれないかって聞いてみたんだけど。そっちの無口なお兄さんにあげたい、ってさ。あっさり振られちまった」
 この歩く軽薄は、少し目を離した隙にあんな年端のいかぬ子どもまでもを口説いていたらしい。なんとも手の早いことだ。あまりにもわざとらしい悔しがりようがどうにも鼻につき、そんなに欲しかったのなら、と手に握った花を何も言わず差し出すと、向こうはそれを受け取るやいなや、断りもなく人の髪に挿そうとする。
「おい、やめろ。誰がそうしろと言った」
「似合う似合う」
 男の髪に花など飾って似合うもくそもあるか、と食ってかかりたい気持ちがないではなかったが、こうも楽しげにされてはその気も失せてしまう。ファーガス北部の、短い分だけ鮮烈な夏。遠い昔にも、奴はフラルダリウスの避暑地に咲くこの花を摘んではからかい半分に俺の髪を飾ることがあった。幼心に意地になって抵抗したことを、今でもはっきりと覚えている。
 この男はわかっているのだろうか。あの頃と同じようにしたところで、もう以前のようには戻れないことを。
「シルヴァン」
「おう。……どうした?」
 久方ぶりにその名を呼んだ俺に、久方ぶりに名を呼ばれた赤毛の男が応じる。輸送隊はとうに出立し、周囲に人の気配はなかった。
「本心を語るに値しない相手か、俺は」
 間を詰めてから、少し余計と思うくらいに背伸びをして、それでようやく、唇が唇に触れた。肉桂色の瞳が驚きに見開かれるその瞬間を、間近に捉える。幼い頃から終ぞ一定以上には縮まることのなかった近くて遠いこの距離も、ひとたび泳ぎ切ってしまえば、まあ悪くはないと思えた。
「好きなのだろう」
 他ならぬ俺を、と後は眼差しだけで問いかける。それだけでこの相手には十二分に通用するという、長い付き合いゆえの限りなく確信に近い打算がこの胸にはあった。”かわいい弟分”などと奴は言うが、その役得を最大限に利用するなら今だろう。
 数瞬の間を振り切って、それまで行き場なくぶら下がっていたシルヴァンの両腕が背中へと回されたのがわかった。再び唇が重なる。先刻よりも、いくらか深く。もっと寄越せ、と催促したが、たしなめるとも揶揄するともつかぬ調子で甘く喰み返されるに留まった。そのまま引き波のように遠のいてゆく鼻先に向かって、思わずひとつ舌打ちをする。
「……フェリクス。俺は、」
「言い訳なら聞かんぞ」
 互いの退路を迷いなく断ちながら、眼前の男を真っ直ぐに見据える。
 ダスカーの悲劇を皮切りにめまぐるしく変化する王国の、そしてフォドラ全土の情勢にみなが否応なく振り回される中でも、シルヴァンはいつも望んで幼なじみ連中の、学友の、とりわけ俺にとっての兄貴分であり続けた。今も昔も、俺は何も変わらない。そう言って平然と笑ってみせる姿に、これまでどれほど勇気づけられ、支えられてきたか知れなかった。――憧れていた。ずっと。
 だから確かに、俺はこの男の不変なるをこそ好いていたのかもしれない。あの教師の指揮の下、破竹の勢いで戦線を押し上げ、終わりのないように思われていた戦乱がその終焉を確かに兆した頃。ふたりの間の、とても些細な、しかし確かな不可逆の変化に気が付いてしまうその時までは。
「シルヴァン。お前は変わった」
 貴族としての自覚が薄い自分とて、王国譜代の臣である大貴族の子が同性に恋慕することの背信を知らぬわけではなかった。己が恋情が一方通行であると思えば、奴はあの手この手でそれを生涯隠し通したことだろう。俺を巻き込むまいとして。このシルヴァン=ジョゼ=ゴーティエは、そういう男だ。それこそ本当に、遠い昔から変わらない。
「人目を気にせず鍛錬に励むようになった。女たちへの世辞に真実味がこもるようにもなった。……そして、あの約束を守ろうとすることに、より能動的になった。それでどうして、その原因であろう俺には何も言わない」
 シルヴァンは俺の詰問に微笑で応じた。熱を帯びた指が項を下から上へとなぞり、結い上げている髪を魔法のように解いてゆく。白い花は耳の上に挿し直され、槍の柄と手綱に擦り切れた大きな手が、まるで壊れ物でも扱うかのような仕草で頬に触れた。その真剣な瞳の奥には、情欲に揺らめく炎が灯っている。
「今の貴様にとって、俺は何だ。答えろ、シルヴァン」
 とどめの言葉に、シルヴァンは消え入りそうな笑みを浮かべた
「決まってるだろ、そんなの……」
 この期に及んで、その科白の先はそんなにも勿体つけるようなことか。淀む言葉尻にそう悪態をつこうとした刹那、火のような接吻が口を塞いでいた。催促するまでもなく挿し入れられた舌を歓待で迎え、しかと腕を回して両の眼を閉じる。
 シルヴァンはそれ以上何を言うこともなかった。が、こちらが与えるよりも遥かに多く与えられる熱が、それまでに望んでいたどんな言葉よりも、雄弁に愛を語った。

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