訓練場の四角い天窓から覗く暁空は、まるで一枚の絵画のようだった。
石畳の上に仰向けに倒れ込んだまま、シルヴァンは重たい腕で額に流れる汗を拭う。件の約束を確かめ合って以来、習慣と言えるほどには続いているこの早朝訓練だが、何分相手が手厳しい。
その頭上で、微かな鍔鳴りの音。
「今日はこれで終いか」
いかにも渋々といった体で差し出されたフェリクスの手を取って、
「悪いな」
満身創痍のシルヴァンは口端を斜めにしてみせた。
* * *
腰を下ろしてすぐ休憩、というわけにはいかない。反省会も鍛錬の内である。
やれ大振りが過ぎるだの、やれちゃんと脇を締めろだの、フェリクスの小言は当面は終わりそうになかったが、然しシルヴァンはそれをむしろ心地よく聴いた。まさか面と向かっては言えないが、この素直でない幼なじみが心配から他人の世話を焼こうとすることそれ自体がシルヴァンにとっては微笑ましく、また嬉しいのだった。それが自分に向けられていると思えば尚更である。
「おい」フェリクスは眉間の皺をいっそう深くして言った。「聞いているのか」
「そりゃ、もちろん」顔に出てたかなと反省しつつ、シルヴァンは二回、頷いた。「しかし俺、お前の目から見てそんなに危なっかしいかねえ」
「とぼけるなよ。貴様、わざと隙を曝しているだろう」
「わざと、っていうか……そうやって切り返す方が、かえって安全ってこともあるだろ。囮やなんかも騎兵の役割のひとつなわけだし、隙があると思わせておく方が、敵を惹きつけておくには都合がいい」
「先の戦いぶりは、そこまで計算づくのようには見えんがな」
「そこは臨機応変ってやつさ。お前も得意だろ、なあ」
のらりくらり言い返すと、向こうは露骨に不機嫌な顔をした。その目元に抜けた睫毛の一本あるのを偶々見つけて、シルヴァンは思わず指をさす。
「あ、睫毛。目に入りそう」
話題を変える嘘だと思ったのか、フェリクスは訝りながらも自身の目をしきりに擦った。
「どこだ」
「違う違う、そっちじゃない」
「……」するどく舌打ちが飛ぶ。
「仕方ねえなあ、俺が取ってやるよ」
ほら、とシルヴァンが促すように顔を寄せると、フェリクスは渋々ながらも向き直り、あとは何も言わずに瞼を閉じた。訓練中の隙のなさからは及びもつかない、無防備な姿。
悪戯心を焚き付けられて、目元に指を触れながら、シルヴァンはその白い額にそっと唇を寄せた。年端もゆかぬ幼少時代、泣き虫だった彼に対してよくそうしていたように。
「……貴様という奴は、」
フェリクスの両の手がシルヴァンの襟元を力任せに引っ掴んだのは、触れた唇が離れるのとほとんど同時のことだった。眉間に深い皺を寄せ、フェリクスは冬山の赤狼もかくやの形相で凄んだ。
「どれだけ俺を子ども扱いすれば気が済む」
剣幕に圧され、シルヴァンはことば通り諸手を挙げて降参の意を示した。
「ごめんごめん、俺が悪かった。お前がいつになく素直なもんだから、つい――」
それ以上、弁明は続かなかった。襟元に先程以上の引力を感じたシルヴァンが、あっ、と薄唇を開けたが最後、噛み付くような接吻がそこを塞いでいた。目を瞑る暇もなく、シルヴァンは自分を貪る男の一対の瑪瑙が情念に燃えるさまを間近に見た。
「謝るくらいなら、するな」
あかつき白みゆく空の下、濡れた唇をちろと舐めて、フェリクスは訓練場を後にした。
なおも呆然と立ち尽くす兄貴分に、彼の残した捨て台詞は次のようなものだった。
「俺は謝らん」
(了)